北下幅

「駒形神社」春の例祭:宵祭りに行ってきました!
(本祭の子供騎馬武者行列は荒天のため中止でした)

目的は北下幅神楽さん。
ネットで拾った情報↓↓
鎌倉時代の頃に、羽黒系山伏が修験を中心におこなっていた神楽に、
江戸時代にいわゆる浜神楽と称する異系のものをとりいれ、
改善を加えて現在のような勇壮で典雅な形になった。

神楽は(神楽も?!)全然分かっていません。
地理も分かってませんが、思ったままを書きます(゚Д゚; 

なぜ北下幅神楽さんを見に行ったかというと
廃絶した南下幅神楽は北下幅の流れを受けたらしいから。
(多分、北下幅と南下幅は隣同士)
南下幅神楽は明治か大正から昭和という短い間に活躍したはずで
(うろ覚え……)南下幅剣舞より歴史は浅かったのですが
神楽から剣舞に何かが流れてるのでは…と思ったりして。

旗は合併前に作られたっぽかったですが
水沢市指定無形民俗文化財奥州胆沢北下幅神楽でした。
水沢なのに胆沢??

もう終わったかな?と19時頃に到着したら、まだやっていました!!

演目は五大領
4色の鬼みたいなのと女性の計5人が舞台で戦ってました。
4色=赤青白黒。
う~ん?方角の神様?
ネットで調べたら、4色は四季を司る神様らしいです。
わかりやすい演目と解説があったのですが
途中から見たし、神様のお話は全く知らない上に
台詞神楽は苦手で、何を言っているか見当もつかない(´・ω・`) 

戦いの後、エライ人?が登場し
「御神楽踊れ」みたいな事を言ったのは聞き取れました。
そして、クズシに。
クズシの最後の方で、一列に並んで四方(三方?)を
固めるのは面白かったです。(毎度の事ですが写真は上手く撮れず)

四季の神様の一人がいない?そういう話なのかも分からず…??
休憩中近くにいたおばちゃん達の会話
「一人足りねがったな」
「御神楽踊ったがら、疲れだべが」
う~ん、そういう事??

引っ込む前は、早池峰のように片膝ついてシュッとした礼ではなく
正座で両手付いて!も面白かった。

10分の休憩を挟んで天の岩戸開きでしたが
所用のため退散 (TεT;)チェッ
五大領はストーリーを勉強してから、もう1回見てみたいです。

それにしても、夜の公演のせいか観客が少なかったです。
年配の方が15~20人位かな?
たまたま笛の会長が、北下幅神楽の笛もやっていて
情報が入ったので見に行くことができましたが
もっとPRしてもイイんじゃないかな~
子供騎馬武者のチラシに載せるとか…


明日も雨マーク…
屋内公演かな…残念。
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五代領とは

お祭りご苦労様でした。暑かったのではないでしょうか。
さて、五代領についてですが、一口に言うと「一年を春夏秋冬の90
日ずつに分けたら、やんちゃな土用の姫様が私にも分けろと怒ったので偉い神様が春夏秋冬の間に18日ずつ4回を分け与えた」という話です。土用は四季の変わり目であるとともに農作業の日取りの目安として大切なことなのでわかりやすく説明したのでしょう。
参考までに私のブログでも取り上げました(あまし参考にならないか)http://maturinookkake.blog.fc2.com/blog-entry-58.html

ところで、北下幅神楽さんの由来ですが、佐倉河に高山稲荷神社というのがあり、そこに明治の初めころまで上葉場神楽という修験者の神楽がありそこから伝授を受けた後には胆沢から平泉地方にたくさんの弟子神楽を持つ北下幅系統ともいうべき神楽組となりました。
演目等も古いものを残し、笛がついているのも山伏神楽の姿をよく残しているためと思います。

南下幅神楽について資料からコピペしておきます。コメント長くなりすみませんでした。

南下幅神楽(絶)
一、代表者 石川三左エ門
二、住所 胆沢町南都田字古城
大正五年及川定吉が庭元となり、水沢市北下幅神楽の千田竹松、
小野庄太郎両師匠の指導により、南下幅神楽を創設した。
昭和一五年頃舞手がなく絶えた。・
初代庭元及川定吉、二代石川熊蔵、三代石川定五郎、四代高橋
幸之丞。

Re: 五代領とは

> 祭りの追っかけさん

> お祭りご苦労様でした。暑かったのではないでしょうか。
GWの悪天候を考えると、暑いのはヤムナシ…です。

> さて、五代領についてですが
> 参考までに私のブログでも取り上げました
ブログは拝見したのですが、神様の名前が苦手でしてf^_^;)
邪道かもしれませんが、ヤンチャなお姫様とか
偉い人、と言う表現だとわかりやすく理解できました。

> ところで、北下幅神楽さんの由来ですが、佐倉河に高山稲荷神社というのがあり、
ネットでは簡単な情報しか拾えなかったので
非常に興味深いコメント(情報)をありがとうございます。
羽黒系山伏…やはり剣舞に影響を与えたのかな~とか
上葉場(地名?)も面白いです。
北があれば南があり、上があれば、下がある!
確か昔は南下葉場村ってあったと何かで読んだような?
下幅=下葉場 でしたよね?




はばにも色々

確かに 幅と書いたり、巾と書いたり、色々ですが葉場が元々だったのでしょう。
ちなみに北下幅神楽については既読と思いますが、水沢図書館に「奥州胆沢下巾神楽」という新書版の本があります。ご参考になればと。

Re: はばにも色々

> 祭りの追っかけ さん

> ちなみに北下幅神楽については既読と思いますが、
> 水沢図書館に「奥州胆沢下巾神楽」という新書版の本があります。

最近図書館に行っていないので、覗いてみたいと思います。
興味シンシンです。
以前コメントいただいた、北下幅神楽は古い演目も云々…も気になっています。
それにしても、祭の追っかけさんの情報量の多さに驚かされっぱなしです!
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プロフィール

はち

Author:はち
南下幅念仏剣舞保存会会員
跳人 8年生

登場人物
先生=第33代庭元
[囃子方]
笹村さん、館長、おかあさん、Nさん
[跳人]
リーダー(第34代庭元)、あんや(跳人最年長)、Mちゃん、親ガメさん、子ガメちゃん(休業中)、greenちゃん、Kさん、Tさん
[胴取り]
リーダー長女&次女
[子ども剣舞]
Kちゃん、Yちゃん、RSちゃん、RNちゃん、MちゃんNNちゃん
南下幅念仏剣舞由来
南下幅念仏剣舞は「巻物圓鏡第一巻」の伝えによると大同3年(西暦808年)出羽国羽黒山峰中で、権大僧都善行院の法印が荒沢鬼渡大明神の御堂に籠り念仏勧行をしている時、ある夜忽然と二人の老翁が現れて「衆生済度の捷径(近道)は舞踊の面白さを知らしめた上に導くに如かず」と諭された。 それに対し彼の法印が「然らば教えて候らえ」と申し上げたところ、一人は座して歌い囃し、一人は立ちて舞い始めた。伝授し終わると二人の姿は虚空に消えて見えなくなった。 ・・・とあり、この踊りこそが念仏剣舞の始まり也。・・・(中略) 寛政3年(西暦1791年)渡辺甚四郎清時から南下幅の卯太郎が伝授されて以来、絶えることなく連綿と昔の原形を踊り引き継がれ伝承されている。
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